畑恵 ブログ

畑恵のブログです

太平洋戦争開戦から80年〜半藤一利さんに学ぶ〈後編(トークセッション編)〉

(前略)


半藤:その前にアンケートを、これは機会があるたびに私は今の日本人は戦争を知らないということを聞くので、お願いしてやっていただくんです。今日は別に皆さんのを回収することはいたしません。どうぞお持ち帰りください。ただ、答えだけ申し上げます。

1番はもちろんドイツです。これでドイツということを知らない女学生が。私は女子大でこれをやったことがあるんです。50人の内、ドイツに丸を付けた人は12人。1番多かったのはアメリカに丸を付けた人がやはり12人。残りはオーストラリアがほとんどでした。というくらいに、今の女子大生は。今から10年前の話ですが、女子大生は知らないということが分かりました。これはどちらでもいいんです。

2番目は、今、畑さんからお話がありました通り、70パーセントが正しいです。

3番目は、bの18万人。ちなみに、海没船員、靖国神社にお祀りされていない船員は6万人です。ここに書いてありませんが。

それから日本人の捕虜は、5万人です。「生きて虜囚の辱を受けず」という戦陣訓があっても5万人の人は捕虜になったと。これはもちろん、意識不明とかになった方もいると思います。

ゼロ戦の航続距離は、直線距離でダーッと走った場合ですが、台湾までです。

日本陸軍の一日当たりのコメの定量は6合です。これは、今の畑さんの戦争責任の問題になるかと思いますが、6合のコメを一日ですよ。ですから10日間の作戦行動を起こすと6升。それを担ぐんです。ですからもう兵隊さんは40キロ以上のコメを担いで行かなきゃいけない。これがもうだいたい酷な話なんですが、こういうことをやらせた。

7番はcの1万キロメートル。

陸軍大将と二等兵の俸給の比率は、bの1対100です。

9番の昭和天皇のお部屋にあったのは、リンカーンです。

「太平洋戦争」と命名したのは、そもそもは日本海軍でございます。そもそも海軍が「太平洋戦争」と命名をしたのですが、議論に議論を重ねた末に、陸軍に押し切られまして「大東亜戦争」となったんです。

以上が解答でございます。どのあたりになったかどうか、御参考までに。教えていただきたいくらいなんですけども。

今の畑さんからの御質問です。海没者、餓死者が70パーセント。このほとんどが、本当に作戦の無謀さ、あるいは無知さ、あるいはあほらしさと。

実に日本軍の自分たちのことを知らないで。というのは、妄想と言ってもいいような、自分の頭の中の観念だけに基づくような作戦計画のもとに行われた結果として、これだけ多くの方が本当に無念の死を遂げたというのが太平洋戦争の現実であるわけです。こういうことを言うとちょっといけないのですが、これは、戦って、戦い抜いて、本当に本当に戦って、それで戦死したというときには、やはりそれなりに自分で満足があるのではないだろうかと。しかしながら、何もしないで餓死ですよ。栄養失調によるどうにもならない餓死。自分の体から蛆虫が沸いてくるのを見ながら死んでいったと。そういう兵隊さんの記録を読んだり書いたりしているわけです。

これを黙って、みんな、靖国神社にお祀りすれば納められると、私たちは思っていいんだろうかということを時々思うんです。やはりこの人たちはみんな、本当に指導者の、上に立つ人たちの無謀さと言いますか、無責任さというものに対して、怒りを覚えながら死んでいったのではないかということをきちんと考えますと、果たして、そういう無謀な作戦、あるいは無責任なことをした人たちが、後から靖国神社に祀られているというその現実を、無念の涙をのんで死んでいった人たちが本当に喜んでいるんだろうかと。一緒になっていることが。

もちろん日本人ですから、死んでしまえば皆同じという、これはよく言う言葉ですが、これは実は仏教の考え方なんですよね。日本人の考え方ではないんです。そういうふうに考えて、みんな同じだからいいんだというふうに思っていらっしゃるかどうか、ということもあるわけですけど。

戦争全体を見ますと、私は本当に、日本人というのはいかに無責任な民族であるかということをつくづくと痛感するわけです。これはその結果であるというふうに、この海没、これもみんな船の上で何もしないで敵の魚雷にぶつけられてやられて死んでいった人。こういう人たちの無念さというものを考えると、やはり責任者というものはいるんだし、その人たちは本当に責任を取るべきであるというふうに思うわけです。


船田:福田康夫官房長官(当時)が提唱された、靖国神社に代わる新たな追悼施設についての懇談会がございまして、それが途中で頓挫した。しかしながらその後、A級戦犯分祀できるならば、それは靖国神社がやっておくべきという議員連盟ができております。その議員連盟に私も所属しているんですけれども、そこに半藤先生においでいただいて、今日に近いお話をされたということがあるわけです。そこで半藤先生と初めてお会いしました。

それから実は、私の祖父の船田中の妹、船田小常というのがおりまして、これが作新学院の経営をかなり担っていた者ですが、その夫が斎藤龍太郎という人物で、文藝春秋の初代の編集局長でありました。ですからそういった文藝春秋つながりというのがあるようです。

靖国問題で今日は先生から大変貴重なお話をいただきましたが、太平洋戦争あるいは大東亜戦争というのは、避けられたか避けられないかという議論がよくあります。私はいろいろ文献を探ったり、いろいろなことを聞かせていただきますと、多分、避けられなかったかもしれないと思っています。それはやはり、ABCD包囲網ということで、石油が禁輸される。もちろんその原因を作ったのは満州進出があったということもあるんですけれども、しかしながら、ABCD包囲網により、このままでは日本の備蓄の石油は半年、1年、あるいは2年ということでなくなってしまう、そういう状況を目の当たりにして、ここはやはり、抵抗していかねばいけない。そういうことで、戦争の口火が切られたんだと思っております。やはり避けられなかったのだと思います。

でも、その後がよくなかったと思います。それは、アッツ島の玉砕も戦争のかなり早い段階でございました。それから、ミッドウェーの海戦での思わぬ敗北、それからバターン半島の行軍を初めとして、先生が御指摘いただいたように、全く無謀な戦争を繰り広げてしまった。

私は、戦前も今もそうだと思うんですけれども、日本人あるいは日本の社会というのは、根拠のない楽観主義で覆い尽くされているのではないかとずっと思っております。まさに根拠のない楽観主義が軍隊の中でも、あるいは政府の中にもずっと存在していて、そのことで、先ほどお話になったような70パーセントも餓死をしてしまう、ロジスティクスが全く駄目であったということにもつながっていった。

あの無謀な戦争をやってしまった指揮者は誰か。天皇陛下という人もいるんですけれども、天皇陛下ご自身、実は御前会議や上奏の中においても、ほとんど厳しい戦争の状況を知らされていなかった。情報の空白を天皇陛下の周囲に作ってしまった。だから、最高司令官である天皇陛下が適切な御判断ができなかったと思います。やはり、東京裁判においてA級戦犯として名指しをされて処刑をされた人々のあの責任というのは、やはり消そうと思っても消えないものです。そういうA級戦犯がそのまま無批判に靖国神社に合祀されてしまったということ自体、これは私は大変、靖国にとりましても痛恨事だと思っております。

そのことによりいわれなき諸外国からの批判も受けなければいけない。あるいは天皇陛下御自身も参拝できませんし、また総理大臣も参拝ができないという状態を作ってしまった。このことは、私は大いに反省をしなければいけないし、是正をしなければいけないと思っております。

一つ、あえて申し上げますと、靖国神社そのものの佇まい、そして英霊を祀ることについては、大変、国を鎮めるという意味ではとても素晴らしい施設だと思っております。ただ、同じ敷地の中に遊就館という記念館がございます。私はまだ伺っておりません。しかし、行った多くの方々の御意見を聞きますと、あの太平洋戦争あるいは大東亜戦争を美化している。そういう記念館が同じ敷地の中にあるということであります。もちろんこれは国に殉じた英霊の方々が喜ぶであろうということで遊就館を作って、展示物を置いたのかもしれません。しかし先ほど来、半藤先生のお話を聞きますと、必ずしも喜んで国に殉じた、あるいは天皇陛下のために喜んで亡くなられた方というのは、あるいは多くなかったかもしれない。そういう方々が祀られている同じところに、あの戦争は正しかったんだという、施設を作るのはいかがなものか、私は、もう1回きちんと考えなければいけないなと思っています。

ちょっと言い過ぎたこともあるかもしれませんけれども、A級戦犯が不用意に祀られているという今の靖国神社の状況を、やはり日本国民として、外から言われたからどうこうということではなくて、我々が自らあの戦争は何だったのか、あの戦争は避けられたのか、あるいはあの戦争において、その必要以上に犠牲となってしまった人々に対して、我々はどう言い訳をするべきなのか。あるいはできないのか。そういったことをもう一度日本人自身の手で、あるいは日本人自身の頭で、反省し責任というものをきちんと考える。戦後60年になりましたから今さら遅いんですけれども、今からでも私は遅くないと思っております。そういう分析をきちんとする。そういったことが必要じゃないかなと思っています。


畑:ありがとうございました。トークも本当は、いろいろお話を伺いたいんですけれども、実際は、あと5分ちょっとしか時間がなくて、これで現在と未来を語るというのは無理な話かもしれません。

先ほど船田議員から“根拠のない楽観主義”という話がありましたが、まさに半藤先生の『昭和史』のあとがきも、同様の言葉で締めくくられています。「この戦争について、何とどこにも根拠がないのに、“大丈夫、勝てる”だの“大丈夫、アメリカは合意する”だのということを繰り返してきました。そしてその結果、まずくいったときの底知れぬ無責任です」という文章があって、またそれ以外にも、いかに歴史に学ぶべきかということを説かれて、例えば先生が、「国民的熱狂を作ってはいけない。マスコミに煽られて一旦燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威を持ち始め、不動のもののように人々を引っ張って行き、流していきました」というようなこと。

あるいは「最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な、理性的な方法論を全く検討しようとしない。自分にとって望ましい目標をまず設定し、実に上手な作文で壮大な空中楼閣を描くのが得意だ」という言葉もあって、あともう一つ、「何かことが起きたときに、対処療法的なすぐに成果を求める短兵急な発想。その場、その場のごまかし的な方策で処理する。時間的、空間的な広い意味での大局観が全くない、複眼的な考え方がほとんど不在であった」と。これはもう読んでいると現代そのものにシンクロしてくるところがあって、非常に恐ろしい気がいたします。

昨今の政治・行政の姿を重ね合わせましても、先生ご指摘の「熱狂が全てを押し流していく」「非常に場当たり的である」「複眼的な考え方がない」など、いろいろ思い当たることがあると思います。こうした傾向は日本人の持って生まれた特性なのかもしれませんが、そうだとしたらどのように自制しコントロールして行けば、日本には未来が開けるのか。歴史に正しく学んだ上での未来への提言を、最後に頂戴できればと思います。


(後略)

※全文はこちらをご覧ください。
https://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12714598171.htmlameblo.jp

ブログランキングに参加しています。良かったら応援して下さい…



にほんブログ村 その他ブログへ
にほんブログ村


日記・雑談 ブログランキングへ


FC2 ブログランキング

柴犬ときはるが行く!〜青山は栄光に輝く✨の巻

f:id:hatakei:20211128121734j:plain

こんにちは、黄昏時晴(たそがれときはる)です!

朝晩グッと冷え込むようになって、モフモフのボクたちにとっては最高👍の季節到来ですが、皆さんお元気ですか?

最高と言えば、「ヤクルト」日本一になりましたね❣️💞🙌

青山育ちのボクとしては、ホームのチームが全国優勝できて、やっぱりすごく感動してます💓

ただオリックスとの日本シリーズは毎回ものすごい死闘の連続で、パパとママは「一球一球が真剣勝負で、甲子園以上だわぁ〜」と言いながらずっとテレビに釘付けでした。

連日ベースボールウィドー状態になっちゃったボクは、とても淋しかったんだよ。

ママは「甲子園で(作新が)優勝した時くらい嬉しい!」と涙ぐんでいたけど、ボクの心の涙にも気づいて欲しかったな😿

(後略)


※全文はこちらをご覧ください。
ameblo.jp



ブログランキングに参加しています。良かったら応援して下さい…



にほんブログ村 その他ブログへ
にほんブログ村


日記・雑談 ブログランキングへ


FC2 ブログランキング

田臥勇太氏対談~日本人初NBA選手に学ぶ真のレジリエンス〈後編〉

(前略)

f:id:hatakei:20211029092624j:plain

人生100%バスケに捧げる。
それを貫かないのは
バスケに失礼だから

畑:でも田臥選手って、そうした記憶のすべてが鮮明に残るわけですから、大変ですよね。

田臥:そうですね。いつもバスケのことばっかり考えてます、人よりもずっと。大変ですよね(笑)

畑:それだと死んじゃいそうなので、バスケから離れて気分転換されることはないんですか?

田臥:ずっと考えていることは大変ですが、苦ではないんです。逆に考えていられることが、ありがたい。特に40歳になって現役でバスケができていると、考えていられることが本当にありがたくて、長く続けるとこうやって見えてくる世界があることも学びでした。

畑:8歳でバスケを始めた時に、「これでずっと生きて行こう」と確固たる思いで決意されたわけですから、他のことが入りようもないですね。

田臥:正直言って、入れるつもりもありませんでした(笑)。自分で決めたことには頑固だと思います。

畑:お話を伺ってると、何でも受け入れてくれて、穏やかに誠実に答えていただけるんですが、何かまったく揺らがないというか・・・

田臥:はい、そういう部分はすごくあると思います。チームメイトからは変態扱いされています(笑)。それも全然気にしませんし、それでいいと思ってます。それを貫かないとバスケに対しても失礼というか、それだけ情熱をもって向き合っていたいと思ってやってきています。

畑:引退は考えてらっしゃるんですか?

田臥:やはり歳を重ねると、そういうことになると思います。

畑:田臥選手のお話を伺っていると、現役選手であることと、そうでないことの違いがあまり無さそうな気がします。精神世界とか、人間のあり方とか、きっとこの人は違わないのだろうなと。

田臥:バスケくらい情熱を注げる、楽しいものを見つけられればいいなと漠然と思います。

畑:「見つけたい」と思いますか?

田臥:「見つけたい」という意識よりは、現役をどれだけ長く続けられるかの方に行ってしまいますね。

(後略)

※全文はこちらをご覧ください。
https://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12705715488.htmlameblo.jp

ブログランキングに参加しています。良かったら応援して下さい…



にほんブログ村 その他ブログへ
にほんブログ村


日記・雑談 ブログランキングへ


FC2 ブログランキング

五輪選手たちが放つ「レジリエンス」という光明

f:id:hatakei:20210716195106j:plain

東京五輪まで、いよいよ一週間。

本来なら、東日本大震災から復興を果たした日本の「レジリエンス(復活力)」を、世界に示す祭典となるはずだった大会は、コロナ禍という試練の中、開催目前に緊急事態宣言が発出され無観客となり、ある意味オリンピック史上特筆される大会となってしまった。

開催の3ヶ月延期をずっと主張してきた自分としては
https://ameblo.jp/japanvisionforum/entry-12678785885.htmlameblo.jp
ワクチン接種も中途半端なら、通常開催できないビハインドを補うためのデジタル活用といった創意工夫もないという、最悪な状況での五輪突入を結果的に招いてしまった現政権の洞察力、戦略性、決断力、責任感の希薄さに嘆息するとともに、このような日本人を育ててしまった、わが国の教育の誤りを痛感するばかりだ。

国家の運営に携わる人間が、まともな状況分析や推測一つできず、基本的な判断や初歩的な交渉一つすることもなく、知恵もなく工夫もなく、ただただ場当たりその場しのぎを繰り返しながら、空々しさの極みとも言える「安心安全」という標語を恥ずかしげもなく連呼し、庶民に無為な我慢を長々と強い、その挙句に次世代への借金を膨れ上がらせながら、人々の暮らしを干上がらせ続けている。

こんな人間たちに、自分たちの生活や将来を託さねばならないなんて、絶対に間違っている。

そう、日本の教育、特に偏差値という単一な評価軸で人間の価値を測るようなこの国の学校教育は、明らかに大きな過ちを犯してきた。

その因果の結末が、一週間後の東京五輪という訳だ。

f:id:hatakei:20210716195233j:plain

しかし、そんな厳しい状況下でも出場選手たちは、ただひたむきに競技と向き合い自己研鑽を重ね、来るべき瞬間を粛々と待っている。

f:id:hatakei:20210716195259j:plain

(後略)


※全文はこちらをご覧ください。
ameblo.jp

ブログランキングに参加しています。良かったら応援して下さい…



にほんブログ村 その他ブログへ
にほんブログ村


日記・雑談 ブログランキングへ


FC2 ブログランキング

「主体性」という特効薬

(前略)

幹部人事権という最も重要な権限を官邸に掌握(=内閣人事局に一元化)され、主体的な業務の遂行が制限されて以来、霞ヶ関の士気やパフォーマンスの落ち込み、一部官僚たちの責任感や矜持の低下は著しく、この間に日本は多くの分野で国際的競争力を失い、国民の安全・安心な暮らしすらまともに維持できなくなりつつある。


日本の元凶と言える「主体性の欠如」。

それは、国の中枢を担う者だけを責めて解決する問題ではなく、日本国民全員が問われるべき課題だ。

どのように改善をはかれば良いのか、それは突き詰めれば「教育」の問題となる。

少なくともコロナは市井に生きる私たち一人ひとりが、マスクなどで飛沫感染を防ぎ、こまめに手洗い・消毒を行うなど主体性をもって予防に取り組めば、必ず乗り越えられる。

しかしそれができないから、不条理で悲劇的な一律活動停止を余儀なくされ、人々の暮らしや国の未来が加速度的に危機に晒されて行く。


実はこの構図が当てはまるのは、日本だけではなく、コロナ対策だけでもない。

危機に瀕する地球環境、世界平和、経済格差など、すべての課題が同様の本質的な問題を抱えている。

人類一人ひとりに「主体性」を涵養することこそが世界的課題克服への特効薬であり、すべての危機を乗り越える上での万能薬でもあるのだ。


※全文はこちらをご覧ください。
ameblo.jp



ブログランキングに参加しています。良かったら応援して下さい…


にほんブログ村 その他ブログへ
にほんブログ村


日記・雑談 ブログランキングへ


FC2 ブログランキング