(前略)
【目指すのは、復旧でなく「復興」】
吉田町では現在、原状回復の「復旧」ではなく、同じような水害による被害を二度と起こさず、しかもより効率的により多くの収穫が得られるよう畑を整備する「復興」計画が進められています。
小さな話で恐縮ですが、作新でも東日本大震災で被害を受けた体育館を建て直す際、元通りに建物を作れば相当の補助金が行政から支給されたところ、敢えて近県には無かったような床面を人工芝で貼った「総合室内練習場」を、学院で全額負担し建設しました。
私は震災当時、子どもたちに対して「日本は震災からの“復旧”ではなく、(震災を糧に前よりももっと良くなる)“復興”を目指さねばならない」と語っていました。
ですから財政難の折、補助金は喉から手が出るほど欲しかったのですが、震災前より高みにのぼる作新という夢に賭けて、院長とともに室内練習場の建設を進めました。
その思いが実ってか、東日本大震災の年から始まった甲子園連続出場記録は、今も途絶えることなく既に8夏目を数え、この室内練習場で鍛えられた選手たちは、遂に悲願だった「深紅の大優勝旗」を54年ぶりに学院へと持ち帰ってくれることとなりました。
作新の「復興支援(ふっこうしえん)」には、甲子園(こうしえん)という文字が、その思いや願いとともに込められている。
そう誰に何度話しても真に受けてはもらえませんが、私は本気でそう信じています。
思いの強さと、それに裏打ちされた不屈の努力こそが奇跡を起こす!
私はそのことを、甲子園優勝やオリンピック金メダル獲得など、作新で何度も体験させてもらいました。
吉田町の皆さんとのご縁も、きっとそんなことがあって、天からいただいたのだと思っています。
吉田町のみかん畑をはじめ、地震や水害などで被災された全国の皆さん方が「復興」を遂げるその日まで、作新学院はずっとずっと応援を続けて行きます。
全文はこちらをご覧ください。
ameblo.jp
ブログランキングに参加しています。良かったら応援して下さい…