畑恵 ブログ

畑恵のブログです

若草萌ゆる京の趣(おもむき)〜宇治編

(前略)

新緑に映える朱塗りの鳥居を越え参道を登っていくと、神さびた小ぶりの山門があらわれます。

そこをくぐると、海を吹き抜ける風に立つさざ波のように繊細な曲線が美しい、「縋破風(すがるはふ)」という屋根を擁した拝殿。

さらにその先が本殿となり、こちらは一間社(いっけんしゃ)流造(ながれつくり)のなんとも鄙びた古式ゆかしいお社で、思わずほっこりしてしまいます。

拝殿脇には、宇治では今はここだけという名水「桐原水」が湧き出ている手水舎もあり、身も心も浄められる、実に気持ちの良い神社です。


さて、抜けるような晴天に映える青葉もさることながら、穀雨に濡れる若緑の美しさもまた格別です。

次回は、しっとりと眩い慈雨を纏った新緑の貴船神社をご紹介します。



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還暦の「雪月花」

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昨日2月15日、遂に還暦を迎えることとなりました。

オミクロン株の猛威により全国で1日に200名を超える方々が命を失くされる状況を、心から悼ましく思うとともに、人生の大きな節目にもかかわらず、両親とともにバースデーケーキすら囲めない現実を、あらためて痛感しています。

そんな中、多くの皆様からお心尽しの祝意を頂戴し、本当に有り難く忝(かたじけな)く感じています🙇‍♀️

(後略)


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柴犬ときはるが行く!〜ボクも5歳、ちょっぴり大人になりましたの巻

(前略)

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で、意気揚々とおうちに着いたら、恒例のバースデーケーキで「ロウソクのフーッ」が用意されてました。

でも5歳になってすっかり自我に目覚めちゃったボクは、パパやママとこの“儀式”をかしこまった顔でするのがどうにも恥ずかしくって、「Happy Birthday to You〜」って歌い終わる前に3回もソファから脱走しちゃった🙀

結局、ロウソクがすっかり溶けちゃってフーッはできず終い、カンカンになったママは「もう時晴の誕生日なんて二度としない😡😾」って泪ぐむし、シャッターチャンスを狙ってずっと中腰のまま、ボクの視線をカメラに向けようと手を振り足を鳴らし百面相して大汗かいてたパパは途方に暮れるし、5歳のお誕生日はもうホント散々でした😔😨🙀



ちなみに、このところのボクのマイブームは「静電気」。

戸棚の金属のフレームに鼻を近づけるとパチっていうのが面白くって、ちょっとでも撫でてもらったら、直ぐにフレームに飛んで行って鼻をおそるおそる近づけてみるんだ。

それでもパチって言わなかったら、後ろ足で自分の体を掻いて自家発電してから、もう一度トライ!

そう5歳のボクは、摩擦によって静電気が生まれることと、その静電気が金属に触れると放電されるってことは、ちゃんと経験則で分かってるのさ、大人でしょ👌

一日のうちに何度も何度も、飽きもせず繰り返しやってみる姿を見てママは、「ときはるは研究者に向いてるわ ❣️」ってときめいてるけど、ボクって犬だし、それはどうかな?

とにかく、もうボクのことをあんまり子ども扱いとか、ネコ可愛がりしないでよね🐕

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太平洋戦争開戦から80年〜半藤一利さんに学ぶ〈後編(トークセッション編)〉

(前略)


半藤:その前にアンケートを、これは機会があるたびに私は今の日本人は戦争を知らないということを聞くので、お願いしてやっていただくんです。今日は別に皆さんのを回収することはいたしません。どうぞお持ち帰りください。ただ、答えだけ申し上げます。

1番はもちろんドイツです。これでドイツということを知らない女学生が。私は女子大でこれをやったことがあるんです。50人の内、ドイツに丸を付けた人は12人。1番多かったのはアメリカに丸を付けた人がやはり12人。残りはオーストラリアがほとんどでした。というくらいに、今の女子大生は。今から10年前の話ですが、女子大生は知らないということが分かりました。これはどちらでもいいんです。

2番目は、今、畑さんからお話がありました通り、70パーセントが正しいです。

3番目は、bの18万人。ちなみに、海没船員、靖国神社にお祀りされていない船員は6万人です。ここに書いてありませんが。

それから日本人の捕虜は、5万人です。「生きて虜囚の辱を受けず」という戦陣訓があっても5万人の人は捕虜になったと。これはもちろん、意識不明とかになった方もいると思います。

ゼロ戦の航続距離は、直線距離でダーッと走った場合ですが、台湾までです。

日本陸軍の一日当たりのコメの定量は6合です。これは、今の畑さんの戦争責任の問題になるかと思いますが、6合のコメを一日ですよ。ですから10日間の作戦行動を起こすと6升。それを担ぐんです。ですからもう兵隊さんは40キロ以上のコメを担いで行かなきゃいけない。これがもうだいたい酷な話なんですが、こういうことをやらせた。

7番はcの1万キロメートル。

陸軍大将と二等兵の俸給の比率は、bの1対100です。

9番の昭和天皇のお部屋にあったのは、リンカーンです。

「太平洋戦争」と命名したのは、そもそもは日本海軍でございます。そもそも海軍が「太平洋戦争」と命名をしたのですが、議論に議論を重ねた末に、陸軍に押し切られまして「大東亜戦争」となったんです。

以上が解答でございます。どのあたりになったかどうか、御参考までに。教えていただきたいくらいなんですけども。

今の畑さんからの御質問です。海没者、餓死者が70パーセント。このほとんどが、本当に作戦の無謀さ、あるいは無知さ、あるいはあほらしさと。

実に日本軍の自分たちのことを知らないで。というのは、妄想と言ってもいいような、自分の頭の中の観念だけに基づくような作戦計画のもとに行われた結果として、これだけ多くの方が本当に無念の死を遂げたというのが太平洋戦争の現実であるわけです。こういうことを言うとちょっといけないのですが、これは、戦って、戦い抜いて、本当に本当に戦って、それで戦死したというときには、やはりそれなりに自分で満足があるのではないだろうかと。しかしながら、何もしないで餓死ですよ。栄養失調によるどうにもならない餓死。自分の体から蛆虫が沸いてくるのを見ながら死んでいったと。そういう兵隊さんの記録を読んだり書いたりしているわけです。

これを黙って、みんな、靖国神社にお祀りすれば納められると、私たちは思っていいんだろうかということを時々思うんです。やはりこの人たちはみんな、本当に指導者の、上に立つ人たちの無謀さと言いますか、無責任さというものに対して、怒りを覚えながら死んでいったのではないかということをきちんと考えますと、果たして、そういう無謀な作戦、あるいは無責任なことをした人たちが、後から靖国神社に祀られているというその現実を、無念の涙をのんで死んでいった人たちが本当に喜んでいるんだろうかと。一緒になっていることが。

もちろん日本人ですから、死んでしまえば皆同じという、これはよく言う言葉ですが、これは実は仏教の考え方なんですよね。日本人の考え方ではないんです。そういうふうに考えて、みんな同じだからいいんだというふうに思っていらっしゃるかどうか、ということもあるわけですけど。

戦争全体を見ますと、私は本当に、日本人というのはいかに無責任な民族であるかということをつくづくと痛感するわけです。これはその結果であるというふうに、この海没、これもみんな船の上で何もしないで敵の魚雷にぶつけられてやられて死んでいった人。こういう人たちの無念さというものを考えると、やはり責任者というものはいるんだし、その人たちは本当に責任を取るべきであるというふうに思うわけです。


船田:福田康夫官房長官(当時)が提唱された、靖国神社に代わる新たな追悼施設についての懇談会がございまして、それが途中で頓挫した。しかしながらその後、A級戦犯分祀できるならば、それは靖国神社がやっておくべきという議員連盟ができております。その議員連盟に私も所属しているんですけれども、そこに半藤先生においでいただいて、今日に近いお話をされたということがあるわけです。そこで半藤先生と初めてお会いしました。

それから実は、私の祖父の船田中の妹、船田小常というのがおりまして、これが作新学院の経営をかなり担っていた者ですが、その夫が斎藤龍太郎という人物で、文藝春秋の初代の編集局長でありました。ですからそういった文藝春秋つながりというのがあるようです。

靖国問題で今日は先生から大変貴重なお話をいただきましたが、太平洋戦争あるいは大東亜戦争というのは、避けられたか避けられないかという議論がよくあります。私はいろいろ文献を探ったり、いろいろなことを聞かせていただきますと、多分、避けられなかったかもしれないと思っています。それはやはり、ABCD包囲網ということで、石油が禁輸される。もちろんその原因を作ったのは満州進出があったということもあるんですけれども、しかしながら、ABCD包囲網により、このままでは日本の備蓄の石油は半年、1年、あるいは2年ということでなくなってしまう、そういう状況を目の当たりにして、ここはやはり、抵抗していかねばいけない。そういうことで、戦争の口火が切られたんだと思っております。やはり避けられなかったのだと思います。

でも、その後がよくなかったと思います。それは、アッツ島の玉砕も戦争のかなり早い段階でございました。それから、ミッドウェーの海戦での思わぬ敗北、それからバターン半島の行軍を初めとして、先生が御指摘いただいたように、全く無謀な戦争を繰り広げてしまった。

私は、戦前も今もそうだと思うんですけれども、日本人あるいは日本の社会というのは、根拠のない楽観主義で覆い尽くされているのではないかとずっと思っております。まさに根拠のない楽観主義が軍隊の中でも、あるいは政府の中にもずっと存在していて、そのことで、先ほどお話になったような70パーセントも餓死をしてしまう、ロジスティクスが全く駄目であったということにもつながっていった。

あの無謀な戦争をやってしまった指揮者は誰か。天皇陛下という人もいるんですけれども、天皇陛下ご自身、実は御前会議や上奏の中においても、ほとんど厳しい戦争の状況を知らされていなかった。情報の空白を天皇陛下の周囲に作ってしまった。だから、最高司令官である天皇陛下が適切な御判断ができなかったと思います。やはり、東京裁判においてA級戦犯として名指しをされて処刑をされた人々のあの責任というのは、やはり消そうと思っても消えないものです。そういうA級戦犯がそのまま無批判に靖国神社に合祀されてしまったということ自体、これは私は大変、靖国にとりましても痛恨事だと思っております。

そのことによりいわれなき諸外国からの批判も受けなければいけない。あるいは天皇陛下御自身も参拝できませんし、また総理大臣も参拝ができないという状態を作ってしまった。このことは、私は大いに反省をしなければいけないし、是正をしなければいけないと思っております。

一つ、あえて申し上げますと、靖国神社そのものの佇まい、そして英霊を祀ることについては、大変、国を鎮めるという意味ではとても素晴らしい施設だと思っております。ただ、同じ敷地の中に遊就館という記念館がございます。私はまだ伺っておりません。しかし、行った多くの方々の御意見を聞きますと、あの太平洋戦争あるいは大東亜戦争を美化している。そういう記念館が同じ敷地の中にあるということであります。もちろんこれは国に殉じた英霊の方々が喜ぶであろうということで遊就館を作って、展示物を置いたのかもしれません。しかし先ほど来、半藤先生のお話を聞きますと、必ずしも喜んで国に殉じた、あるいは天皇陛下のために喜んで亡くなられた方というのは、あるいは多くなかったかもしれない。そういう方々が祀られている同じところに、あの戦争は正しかったんだという、施設を作るのはいかがなものか、私は、もう1回きちんと考えなければいけないなと思っています。

ちょっと言い過ぎたこともあるかもしれませんけれども、A級戦犯が不用意に祀られているという今の靖国神社の状況を、やはり日本国民として、外から言われたからどうこうということではなくて、我々が自らあの戦争は何だったのか、あの戦争は避けられたのか、あるいはあの戦争において、その必要以上に犠牲となってしまった人々に対して、我々はどう言い訳をするべきなのか。あるいはできないのか。そういったことをもう一度日本人自身の手で、あるいは日本人自身の頭で、反省し責任というものをきちんと考える。戦後60年になりましたから今さら遅いんですけれども、今からでも私は遅くないと思っております。そういう分析をきちんとする。そういったことが必要じゃないかなと思っています。


畑:ありがとうございました。トークも本当は、いろいろお話を伺いたいんですけれども、実際は、あと5分ちょっとしか時間がなくて、これで現在と未来を語るというのは無理な話かもしれません。

先ほど船田議員から“根拠のない楽観主義”という話がありましたが、まさに半藤先生の『昭和史』のあとがきも、同様の言葉で締めくくられています。「この戦争について、何とどこにも根拠がないのに、“大丈夫、勝てる”だの“大丈夫、アメリカは合意する”だのということを繰り返してきました。そしてその結果、まずくいったときの底知れぬ無責任です」という文章があって、またそれ以外にも、いかに歴史に学ぶべきかということを説かれて、例えば先生が、「国民的熱狂を作ってはいけない。マスコミに煽られて一旦燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威を持ち始め、不動のもののように人々を引っ張って行き、流していきました」というようなこと。

あるいは「最大の危機において日本人は抽象的な観念論を非常に好み、具体的な、理性的な方法論を全く検討しようとしない。自分にとって望ましい目標をまず設定し、実に上手な作文で壮大な空中楼閣を描くのが得意だ」という言葉もあって、あともう一つ、「何かことが起きたときに、対処療法的なすぐに成果を求める短兵急な発想。その場、その場のごまかし的な方策で処理する。時間的、空間的な広い意味での大局観が全くない、複眼的な考え方がほとんど不在であった」と。これはもう読んでいると現代そのものにシンクロしてくるところがあって、非常に恐ろしい気がいたします。

昨今の政治・行政の姿を重ね合わせましても、先生ご指摘の「熱狂が全てを押し流していく」「非常に場当たり的である」「複眼的な考え方がない」など、いろいろ思い当たることがあると思います。こうした傾向は日本人の持って生まれた特性なのかもしれませんが、そうだとしたらどのように自制しコントロールして行けば、日本には未来が開けるのか。歴史に正しく学んだ上での未来への提言を、最後に頂戴できればと思います。


(後略)

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柴犬ときはるが行く!〜青山は栄光に輝く✨の巻

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こんにちは、黄昏時晴(たそがれときはる)です!

朝晩グッと冷え込むようになって、モフモフのボクたちにとっては最高👍の季節到来ですが、皆さんお元気ですか?

最高と言えば、「ヤクルト」日本一になりましたね❣️💞🙌

青山育ちのボクとしては、ホームのチームが全国優勝できて、やっぱりすごく感動してます💓

ただオリックスとの日本シリーズは毎回ものすごい死闘の連続で、パパとママは「一球一球が真剣勝負で、甲子園以上だわぁ〜」と言いながらずっとテレビに釘付けでした。

連日ベースボールウィドー状態になっちゃったボクは、とても淋しかったんだよ。

ママは「甲子園で(作新が)優勝した時くらい嬉しい!」と涙ぐんでいたけど、ボクの心の涙にも気づいて欲しかったな😿

(後略)


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